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長崎地方裁判所佐世保支部 昭和32年(わ)32号 判決

被告人 岩崎寛太郎

主文

被告人を懲役二年六月に処する。

未決勾留日数中二百日を右刑に算入する。

理由

(犯罪事実)

被告人は、昭和十一年七月十八日佐世保市日野岡免三百九十八番地において父岩崎繁(明治三十九年七月二十一日生)母浅山ミヤ間の二男として生れたが、父繁は右ミヤの貞操を疑つて被告人を右ミヤと同人の従姉の夫専太郎との間に出来た子であるかのように邪推して極端に被告人を悪み、事毎に寛太郎は自分の子ではないと言い放ち、被告人の兄に当る長男彌太郎や被告人の弟に当る三男博武等を可愛がるのに引きかえて被告人に対しては別して冷酷な態度を示していた。又繁は酒を好む反面働くのを嫌つて仕事を懶け、飲めば家族に暴行する等目に余る行状が多く、ために絶え間の無かつた家庭の不和が昂じて遂に母ミヤは繁に愛想をつかして昭和二十五年二月頃離婚し、被告人等を繁の許に残して去つてしまつた。被告人はとも角も新制中学一年の教課を終えたが、繁が子供の教育を顧みないので中途退学し、その後は土工や炭坑夫となつて働き、一時家を離れて平戸市で製パン職を覚えその職人となつて佐世保市や戸畑市等の製パン店で働き、昭和三十一年三月頃は長崎県松浦市今福町で父子皆相集つて暮していたが、繁は只に被告人ばかりでなく兄彌太郎とも折合悪く、遂に間もなく彌太郎は父繁を見限つて家を出て行き、被告人も繁と口論の末その頃同人の許を去つて戸畑市方面で製パン職人として働いていた。昭和三十一年九月十日頃に至り弟博武が前記今福町北免二千九番地渡口哲方二階四畳半の一室を借り受けて父繁と共にこれに居住していることを知つて同所を訪れ繁に就職のあつ旋を頼んだが繁は「お前は信用ならん、俺の子ではない、出て行け」等口ぎたなく罵り冷淡な態度を示すばかりであつた。被告人は同年十月一日から同県北松浦郡志佐町の三栄炭坑で働き同炭坑の寮で寝泊りしていたが、同年十二月三日同所をやめた後は前記渡口方の借間で弟博武と共に暮すようになり、その頃働きに出ていた繁も同月二十七日頃帰つて来たので、爾来被告人は繁と相反目の状態を続けながらも共に生活していた。被告人は昭和三十二年一月八日頃から近くの砕石場の人夫として働き繁と折合わないまま間もなく食事のみ同人や弟博武等と共にして夜は附近の田中飲食店に泊りに行くようになり、繁は別段仕事はせず只炊事の世話のみをしていた。

かかる反面被告人は前記の如く父繁が被告人に対し幼時より事ある毎に「お前は俺の子ではない」と放言し、且つ悉く被告人をその兄や弟と差別して冷酷に遇し、虐待することも屡々に及び、かかる環境下に成育しつつもの心つくや、次第に父繁の態度に対する批判の眼も開けて来るうち、兄彌太郎からも「お前は俺達とは父が違う」とも言われ、批判は次第に疑惑へと変つて、何時しか繁に対し自分の真実の父親であるのだろうか違うのではないかと疑念を抱き始め、此の疑惑は消失の機会を持つこともなく而も時と共に深まつて行つた。かような折柄同月十四日朝田中飲食店から渡口方二階の住居へ帰つて来て朝食を済したが弁当の用意が出来なかつたので、繁が弁当を作つて午前十一時半頃迄に被告人にも弟博武にも持つて来てくれることを約束して仕事に出たが、繁は弟博武にのみ弁当を持つて行つて被告人には持つて来なかつたので被告人は同僚から弁当の一部を別けて貰つて空腹を補ない、同日は午後の仕事を休み午後二時頃から正月の祝酒が出たので同僚達と共に飲酒して夕刻前記住居へと帰つて来た。見ると父繁は階下渡口方三畳の間で渡口と共に飲酒していた様子であり、被告人は弁当を持つて来てくれなかつた事を不服に思いながら合羽を脱いでいた際、繁が酒癖を出して「貴様今迄何しよつたか」と怒鳴りつけるので、「博武には弁当を持つて来て何故自分には持つて来なかつたか」と不平を鳴らすや繁が「博武はお前とは違う」と言い争うのを傍から渡口が取りなすようにして被告人にも盃を進めるので、これを受けて二階に上り、ジャンバーに着替えて釜の上にあつた被告人の弁当を取つてポケットに入れ、階下に降りて、繁に対し煙草を無心するや同人は「お前にやる煙草はない」と素気なく言うので再び口論となり互に言い争ううち、繁が便所に立つた直後被告人は渡口方炊事場土間に接している板張の上り口附近に立つていた時、用便を終えた繁が手洗用のバケツ(証第二号)を携え来つて、右バケツで矢庭に被告人の頭部を二回程強打したので、被告人は咄嗟の事に驚き且つ憤慨したが、繁の前記の如き博武には弁当を持参しながら被告人を異別に取扱い被告人に対しては煙草一本をも惜しみ、あまつさえバケツで強打する等、到底真実の父親としては首肯されない行為態度から前記の疑惑は一時に深まり、真実の父親ならばかかる冷酷無道な仕打には出でないであろうと考え、なお一抹の疑を残しつつも遂に繁は自分の真実の血肉を別けた父親ではないと断念し、忿懣一時に募つて咄嗟に繁を殺害しようと意を決して土間に飛び降りるや前記炊事場の棚の上から出刃庖丁(証第一号)を手に取り繁の傍に駈け寄るや再び同人から右バケツで頭部を強打され、これに怯まず右出刃庖丁を以て同人の腹部附近を目がけて三回突いたが、同人の抵抗が急に衰えたため、一瞬自己の犯行の結果が恐ろしくなつてその場より逃げ去つたため、父繁に対し治療約六十余日を要する上腹部左肋弓部に平行に長さ約三・八糎、深さ腹腔内に達し大網膜を貫き小腸壁を損傷して肝胃靱帯を切断して肝臓を僅かに損傷せる刺創一ケ、右前胸部乳線下に長さ約一糎皮下損傷に終る刺創一ケ、右大腿部内側に長さ約四糎、深さ筋層に達する刺創一ケの傷害を負わせたに止まり殺害するに至らなかつたものである。

(証拠)(略)

(法令の適用)

法律に照らすに被告人の判示所為は刑法第二百条、第二百三条に該当するが、犯時被害者に対し自己の直系専属であることの認識を欠いでいたのであるから同法第三十八条第二項に依り同法第百九十九条、第二百三条の刑に従い処断すべく、所定刑中有期懲役を選択して同法第四十三条前段、第六十八条第三号に依り未遂減軽をなした刑期範囲内において被告人を懲役二年六月に処し、刑法第二十一条に依り未決勾留日数中二百日を右刑に算入すべく、訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項但書を適用して被告人に負担させないこととする。

仍て主文のように判決する。

(裁判官 山口民治 真庭春夫 重富純和)

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